総社文学会

総合文芸誌「総社文学」昭和47年 創刊

昭和47年9月1日発行「総社文学」Vol.3 あとがき

 昭和47年9月1日発行「総社文学」Vol.3の「あとがき」に下記のような記述が見られる。
創刊の中心となった井奥(難波)行彦氏が書いたものである。

 この「あとがき」が書かれてから50年が過ぎようとしている。果たして今、総社の生活は文学をきめることができているのだろうか。

 

 〈昭和47年9月1日発行「総社文学」Vol.3 あとがき〉
 明治以後の文学は、10年ごとくらいの速いきざみで外国の模倣におわれました。今でも、外国の文学を取り入れたものが新しいのであり、新しいものでないと文学の名に値いしないというのが実情のようです。
 生きることの必要からでなく、文化の新しさの方をいつも先取りする日本の現状の中では、外国のものが日本に根をおろす時間がないのですから、いつも日本の「新しさ」は「深さ」と対立してしまったようです。堅実な作家は自信を失ない、あわてる作家は自己を失ない、ただ運と、10年ごとのきざみを越える何ものかを持ち得た作家だけが埋没からのがれ得たという評論を読んだことがあります。
 ほんとうは、ふり返れば10年で、当事者には1年たらずの刻みでおそってくる激動なのです。文学の評価を、文壇という、商業ジャーナリズムの資本と、宣伝にゆだねていることがこのような結果を生むとも言えましょう。
 たとえば総社の生活が、文学をきめること、そこまでととくのはいつでしょうか。(難波)