総社文学会

総合文芸誌「総社文学」昭和47年 創刊

【文学散歩】片山潜の碑(久米南町 羽出木)

片山潜の碑

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片山潜の碑の説明文〉
 郷土の偉人・片山潜
 片山潜は1859年(安政6年)久米南町羽出木の庄屋、薮木国平(父)きち(母)の二男として生まれ、幼名を菅太郎といい19歳まで勉学のかたわら家業に精励した。その後片山幾太郎(建部町下神目)の養子となり(徴兵回避のためともいわれる)のち復籍し、さらに片山常吉久米南町塩之内)の養子となる。この頃、名を片山潜と改める。
 1884(明治17年)26歳で渡米、働きながら苦学し、グリンネル大学などを卒業し、その間、社会問題、労働運動に関心を持ち社会主義者となった。そして38歳の時、13年ぶりに帰国、明治30年にキングスレー館を開き社会主義、労働運動の啓蒙、普道選挙の実現や反戦平和の運動など多彩な文筆活動、実践運動に専念し昆本の社会主義運動に偉大な足跡を残した。
 大正3年9月9日、日本での弾圧下を逃れて渡来し永遠に日本には帰らなかった。
 1922年(大正11年)の暮れにコミンテルの極東民俗大会(ロシア)に参加して議長を務めるなど、精力的な活動を続け1933年(昭和8年11月5日13時50分)クレムリン病院で故郷羽出木の秋の空を欧州第一のトロサックスの空よりも美しいと遠く故郷に想いをはせつつ74歳の生涯を閉じた。
 久米南町観光協会

 

【アクセス】久米南町 羽出木
       岡山県久米郡久米南町羽出木
       中国自動車道津山ICまたは院庄ICから約30分
       JR弓削駅から自家用車で約10分

〈撮影〉矢吹恭孝