総社文学会

総合文芸誌「総社文学」昭和47年 創刊

【文学散歩】夏目漱石 文学碑(岡山市 京橋町)

夏目漱石 文学碑

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 生きて仰ぐ 空の高さよ 赤蜻蛉

夏目漱石文学碑案内〉
「生きて仰ぐ 空の高さよ 赤蜻蛉」
 夏日漱石は、明治43年6月上旬、小説『門』の脱稿前後、継続する胃の痛みを胃潰瘍と診断され入院しました。7月末に退院し、門下の松根東洋城の勧めで、8月6日から修善寺温泉の旅館「菊屋」に転地療養に出掛けました。しかし、退院後も胃痙攣は続き、8月24日夕刻から急変。胃潰瘍による大量吐血で、一時、生死の境を彷徨いました(修善寺の大患)。
 この句は、辛うじて回復した漱石が、9月24日、世話になった周囲の人々に感謝しながら、無数の赤蜻蛉が飛び交うどこまでも高い秋の空を眼にし、しみじみと生きている感慨を詠んだ句です。
 平成三年五月建立


夏目漱石逗留の地』
 明治25年(1893年)7月、漱石は、大学の暑中体暇を利用して、松山に帰省する正岡子規と共に関西方面を旅している漱石は神戸から鯛山に向かい、亡くなった次兄直則の妻であった小勝の実家・片間家(岡山市内山下町138番邸)に1ヶ月ほど逗留している。
 その間。3泊4日で、再婚していた小勝を上道郡金田村(現岡山市金田)に尋ねて歓待されているまた、7月23日、24日には旭川氾濫による大洪水に見舞われている。
 石碑に刻まれている碑文の句は、明治43年 (1910年)の「修善寺の大患」を経て、その療養中に詠まれた漱石の代表的な句の一つである。


【アクセス】夏目漱石 文学碑
       岡山県岡山市北区京橋町4
       岡山県庁より旭川に沿って南に徒歩3分
       京橋西詰遊歩道脇

〈撮影〉矢吹恭孝