徳冨蘆花 歌碑
〈蘆花の歌碑案内〉
ここ養父が鼻の地は、もともと瀬戸内海岸でも有数の景勝地で、白砂青松の海辺として全国に知られていた。また遠浅で、潮干狩り海水浴、釣魚などの場として四季を通じて賑わい海中に点在する飛石、はね石、ごろ石などと呼ばれた布石の妙は人々の目を楽しませた。
たまたま明治大正期の文豪徳富蘆花(1868~1927)が訪れたのは大正7年の夏で滞在数10日、この地の明媚な風光とこまやかな人情を愛した。
人の子の貝堀り
あらす砂原を
徳富健
平になして
海の寄せ来累(る)
昭和八年十月刻之
世話人山本元蔵
この一首は当時の景観をえがいた名歌で一読。今も満ち潮の押し寄せて来る様子が眼前に浮かんでくる碑は地元の人々によって昭和8年10月に建てられたが、同18年以来数次にわたって養父が鼻沖は干拓せられ陸続きとなりさらに現在のような工場地帯と変った。かえりみてまことに今昔の感にたえない。
蘆花には「不如帰」「自然と人生」「思い出の記」などの代表作がある。
平成27年3月29日
公益社団法人倉敷観光
コンベンションビューロ
玉島文化協会
【アクセス】戸島神社
倉敷市玉島乙島1251
山陽自動車道「玉島IC」から南へ車で約20分
「戸島神社」正面階段の西側の斜面
〈撮影〉矢吹恭孝