総社文学会

総合文芸誌「総社文学」昭和47年 創刊

【文学散歩】薄田泣菫 詩碑(倉敷市 厄神社)

薄田泣菫 詩碑

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 あゝ大和にしあらましかば     
                薄田泣菫
ああ大和にしあらましかば
いま神無月
うは葉散り透く神無備の森の小路を、
あかつき露に髪ぬれて、往きこそかよへ、
斑鳩へ。平群のおほ野、高草の
黄金の海とゆらゆる日、
塵居の窓のうは白み、日ざしの淡に、
いにし代の珍の御経の黄金文字、
百済緒琴に斎ひ瓮に、彩画の壁に
見ぞ恍くる柱がくれのたたずまひ、
常花かざす芸の宮、斎殿深に、
焚きくゆる香ぞ、さながらの八塩折
美酒の甕のまよはしに、
さこそは酔はめ。

 

薄田泣菫詩碑案内〉
薄田泣菫詩碑
六枚の乱れ屏風の形よりなり、左から鋭角、直角、鈍角で、鋭角は泣菫の初期、直角は中期、鈍角は、後期の作品を表現している。
その後期の部分には泣菫の直筆で詩集白半宮にのせられている代表作「ああ、大和にしあらましかば」が伊部焼として刻まれている。
詩碑の中央からやや左手に筆塚がある、これは、橘太夫厨子を最も単純美的に表現したもので、その地下には泣菫が生前つかっていた筆を納めているこの詩碑は乱れ屏風の御影石の白と更緋折壁石でできいている、黒い筆塚のポノイントは詩碑全体のバラマスの美しさを示し太陽の移動によって創られる陰影の変化は面白く谷口吉郎博士の代表作の一でもある。
(詩碑裏面一枚目の日夏耿之介先生の碑文参照)

 

【アクセス】厄神社
       岡山県倉敷市連島中央5-25
       倉敷駅から水島方面10km バス約30分
       新倉敷駅から連島方面へ7km バス約20分

〈撮影〉矢吹恭孝